わがままひとりごと(2004年〜) 
改訂=2008.11.26(通算#189)  初版=1999.9.3 中溝喜慶 

No 年月日 わ が ま ま ひ と り ご と 写真メモ
191 2008.11.26

 500円硬貨貯金と1泊家族旅行
11月22日より1泊で城崎温泉へ出掛けた。3連休ということもあって混雑することは予測していたが名神〜中国〜舞鶴の各高速道路は、ともに混雑し渋滞に巻き込まれることになった。
 予定時刻より遅れて出石に立ち寄ったが連休の為かどの駐車場も満車のため出石の入り口のそば処で蕎麦を食べただけで下車することなく予定外の「コウノトりの郷公園」を尋ねることにしたが幸いにも2mもある模型のコウノトリの巣に乗り込んだ孫は大喜びであった。
 城崎温泉に着いても狭い道路は温泉客の車で身動き出来ない程にごった返しの状態であった。宿に辿り着くとすぐに外湯めぐりを楽しむ。夜7時、待望の夕食だ。ここでは蟹三昧だ。孫も私も含めた家族全員が大満足の夕食となったようだ。
 じぃじの「500円硬貨貯金」で実現した楽しい家族旅行となっただけに今後も継続して貯金を続ける予定だ。努力は必要だが500硬貨貯金は意外に貯まるものだ。皆さんも試してみたらいかが。


食事の時間で
飼育員が近づくと
コウノトリが
集まってきた
190 2008. 927
 14日、稲刈り・収穫日だ。5月の連休中に、今は亡き義弟と一緒に田植えした最後の稲の収穫とあって、義弟の中学生の頃からの想いが甦ってきた畑仕事となる。
 この6月に、義弟が亡くなって、息子に先立たれた両親の嘆きが手に取るように分かっただけに出来る限りのお手伝いをしようと決意した。今までもお手伝いをしてきたがこれまで以上に負担がかかってくることも事実だが農作業は嫌いではない。むしろ面白いと思うくらいだ。食べるだけの面積だから収穫も数時間で終わってしまう。今回は、おおじぃじからみると娘婿・孫・ひ孫4世代が集合した。田んぼで食べる弁当は格別に美味しかった。
 写真は、私・じぃじがコンバインを操り、同乗させてもらって大喜の孫が印象的だった。
189
2008. 8.28
 26日、膀胱癌手術後の第1回目の検査日であった。内視鏡による結果は「異常なし」でやれやれだ。
 非常に再発率の高い癌ということもあって再発・手術の覚悟はできているものの再発していないことに安堵感が漂う。手術後は、絶えず癌との闘いとなるが精神的にも肉体的にも負けるわけにはいかない。普段は、癌を忘れ楽しく・のんびりとわが思うがままに生活していくわがままを許してもらいたい。
188 2008.8.24
 昨夜来の雨もあがって薄日がさす天気となった。今日は、自治会・夏のイベント「3世代ふれあい夏祭り」である。担当役員は早朝から準備し始めているが今年は役員を外れていることから11時の開始時刻直前にお邪魔することにした。会場には、自治会の仲間がすでに集まりバーベキューの匂いが漂っていた。孫達もお父さと一緒に参加してスイカ割りやそうめん流し(写真)を楽しんだようだ。
 最後の、ビンゴゲームでは孫のお兄ちゃんが3等を仕留め大喜びで大事そうに両手に抱いて持ち帰ったまではよかった。
 が、家で包みを開けておおいに落胆したらしい。中身が調理用品だったらしくがっかりした孫の姿を想像しただけでかわいそうになってくる。孫は、大好きなプラモデルなんかを想像しながら帰宅したに違いなかったはずだ。でも、あと1週間で終わる夏休みの楽しい思い出となることは確かであろう。


流しそうめん

孫娘も大喜び
187
2008. 6.14
 義弟の死
「救急車で病院に運ばれた」との電話があったのが10日の午後5時50分頃、すぐさま病院に駆けつけたが医者の言葉に愕然とする。
 中学校に勤める義弟(女房の弟)は、会議終了(17時30分)直後に2〜3回咳き込んだまま机にうつ伏せになったそうだ。
 AEDや心臓マッサージで必死に蘇生を試みられたのだが息を吹き返すことはなかった。「解離性大動脈瘤」で大動脈が破れ心肺停止となったという。家族に看取られることもなくたった一人で、妻と3人の子供、高齢の両親を残して旅たった53歳の義弟、ただただ涙が溢れてくる。
 通夜・葬儀の段取りで眠ることもなく翌11日の朝を迎えることになる。
11日(19時〜)通夜、12日(13時〜)葬儀と慌ただしい2日間であったが大勢の教え子たちに見送られて旅立った義弟は最高の幸せ者だったかも知れない。


何を語りかける?誰を想う?
186
2008. 5.20
 加齢とともに、肉体のどこかに確実に異常が生じてくるものだ。自覚症状があったわけではなかったが別件(腎のう胞)で、昨年5月、エコー検査で膀胱にポリープがあることを指摘されていた。ただ、ポリープは小さくしかも地域自治会の仕事もあったことから1年近く「放置」していた。自治会の任期が終わった4月に再検査してもらったところやはり大きくなっていることが判明する。
 成人病センターで精密検査を受け、主治医の説明で5月の連休明けからの入院を決意し5月12日、膀胱腫瘍(癌)を切除手術した。膀胱癌は、非常に再発率が高いそうで再発したらすぐに切除する必要があるとのこと。昨日(19日)、退院したが今後4ヶ月ごとに検査することになる。病室内の一人も3回目の入院とのことだったので再発率の高さをあらためて再認識せざるを得なかった。
 65歳からの「癌との闘い」が始まったことになった。しばらく身体を休めよう・・・

癌と仲良く!! 手術後に音楽を楽しむ
185
2008. 5. 4
 5月1日(木)は、近くの氏神・吉御子神社の例大祭であった。昨年は、雨となって途中で神輿巡行は中止となったが今年は天気に恵まれた。小学1年生になった孫は、子供神輿(低学年の樽神輿)に初めて参加することになった。初めて着るハッピ(法被)に最初は戸惑い緊張しながらも次第にほぐれて祭りの雰囲気に溶け込んでいったようだ。
 10時過ぎに、ワッショイワッショイの甲高い声とともに境内から旧東海道へと巡行して行く。子供神輿のあとを追いかけるように図太い掛け声とともに大人が担ぐ神輿が勢いよく通り過ぎていく。沿道には町内会の人達が笑顔で迎える姿があって心が和んでくる。
 これから毎年の例大祭に参加するであろう孫にとって、幼き頃の良き思い出として心に残ってくれることを期待したい。


初めて参加した祭り・孫
184 2008. 4.17
ブロク人への仲間入りでもちょっぴり紹介したが我が孫もピカピカの小学1年生となった。ついこの間に初孫誕生に喜んだように思うがもう小学生である。
 子から孫へとじぃじの血を善しきにせよ悪しきにせよ脈々と継いでいるようだ。じぃじが小学校に入学した頃は戦後間もないこともあっておもちゃも無いに等しかった。そこらにあるガラクタを集めて遊んでいた頃だから今とは雲泥の差である。今の精細で高度なおもちゃとは比較するまでもないが孫の器用さには目を見張るものを感じてしまう。第1に五感の鋭さの違いである。現代っ子の特徴かも知れないが社会環境が育んでくれている才能だとつくづく思ってしまう。
 デジカメで撮影したり、パソコンでインターネットでガンダムで遊ぶなど60年前のじぃじの入学した時代とは違いすぎる。写真は、ガンダムを組み上げてたあとノートパソコンの前に座ってインターネットを楽しむ孫である。


お気に入りのガンダムと
パソコンに向き合う孫
183 2008. 2.22
 佐賀に帰郷した。フェリーで大阪南港から新門司港に渡たり故郷・佐賀への3世代男旅である。孫がこの春に小学校へ入学することもあって途中で、学業の神様・大宰府天満宮に参拝したあと吉野ヶ里遺跡を散策する。遺跡公園では、色んな体験コーナーがあって「丸太舟つくり」に、のみと木槌をふるって体験し、さらに「まがたま作り」に挑戦する。孫の顔にも大満足の笑みがこぼれていた(写真下)
       
 翌17日は、帰郷の目的である甥っ子の結婚式である。孫は、結婚式に参列するのは初めての経験であったが式場の厳かな雰囲気を感じ取ったのかどうかわからないがかなり緊張していた表情であった。静かにしていねばならないプレッシャがあったかも知れない。披露宴では、雰囲気にもすっかり慣れてお嫁さんに花束を渡す大役を無事につとめてニッコリ、緊張から開放された後はご馳走を口に運んでいた。
182 2007. 5. 6
 子供の日の昨日、ささやかにも食事会という名目で家族で中華料理を食べに行った。二人の孫達と一緒である。男の子は幼稚園の年長組で、女の子は1歳8ヶ月のかわいい盛りの年齢だ。いつの間にか大きくなっていくがその分このじぃじも衰えが目立ってきて自覚症状となって現れてきた。一番の症状は、視力の衰えだ。パソコンに向き合っていてもすぐに眼球が痛くなるのを感じてしまう。睡眠不足と重なると充血、眼科医によると出血といい、自然治癒を待つしかないというのだ。なんとも冷たい言葉だが加齢の宿命なのかとも思う。次の自覚症状は、物忘れである。現在、菊作りの準備で小道具を良く使うのだが小道具を置いた場所を忘れてしまって探す時間の長さに閉口してしまう。孫達の成長とじぃじの衰えの速度がまさしく比例していく。  
かわいい盛りの孫娘(1歳8ヶ月
181 2007. 3.11  今日11日は、私の64歳の誕生日であるが「今年も元気な状態でこの日を迎えられた」と素直に喜んでいる。平均年齢からからすると当然かと思うがかって交通事故で「九死に一生を得た」経験があるだけに“生きている喜び”を人一番に感じ取っているかも知れない。退職後も一日たりとも退屈した日が無く時間不足を睡眠時間で調整している感じだ。でも、体力は確実に衰えを感じている。夕張市に見られるように地方財政の破綻が現実となってきたが我が地方自治の行く末はどうなのか?
 つい先日のことだが日本経済も中国の株価暴落で日経平均株価が大暴落した経緯がある。アメリカがクシャミすると日本が風邪を引くと言われてきたのも今は昔?今や中国の動向によって世界が動かされる現実がある。
 ともあれ、老後に突入していく今、わが身を守ることを何事においても最優先に考えざるを得なくなった現実と真正面に向き合うことが必要となってきた。現実を直視するとむなしくなってくるが精一杯生きることに専念しよう。
 写真は、息子が撮ったスナップだが
64年の歳月が刻まれた皺が何かを物語っているようだ。我が人生も辛苦があったが今では終末の散り逝く姿がどうなるかが問題だ。周囲の者に迷惑を掛けないように人生を終えることができたらと願いたいものだ。これから終末を迎えるまでの期間を精一杯生きることにしようぜ!! この写真が遺影となるかも・・・
180 2007. 1. 2  昨年7月に2番目の兄が亡くなったことで年末の「年賀状作成」から開放?されていて何となく気の抜けた年末となっていた。そして新年を迎えた。
 今年は“いのしし”ということで、猪突猛進と言う格言の中にもの中にも冷静さ沈着性が必要であろう。例年の如く我が家では国旗を掲揚した。元日だけの掲揚だが長年使用しているだけに痛んでいることもあって更新する必要がありそうだ。年々、国旗を掲揚する家庭が少なくなっていくことが気になるが安倍総理が説く「美しい日本」、教育基本法で謳う「国を愛する心」も「国旗」をイメージする。日本人ならおのずと「白地に赤い」象徴の国旗を掲揚したらどうだろう。国旗・日の丸を即「軍国主義」と位置づけたりする考え方には決してならないはずだ。美しい、平和な心の国民性を育てる環境作りも一人一人のたゆまない努力が必要であろう。
 隣市であるが旧東海道沿い家並みには、祝日毎に国旗が掲揚されている集落が存在する。車で通るたびにそこの集落の住民の心の豊かさを垣間見る思いがする。

国旗への想いを・・・
179 2006.12.26  今年もクリスマスが終った。イブの日には、孫たちと一緒にクリスマスケーキを食べたが孫はサンタさんがプレゼントを枕元に置いてくれると信じているようだ。ただ、幼稚園内で聞いているのかどことなく“疑い”も感じているような素振りもある。
 「じぃじ、サンタさんはプレゼントを持って来てくれるかなぁ。何時ごろ着てくれるのかなぁ」。勿論、持ってきてくれるさ。今頃、トナカイに乗って一生懸命走っているさ。でもね、遠いから途中で休憩するだろうから明日の朝には枕元に置いてくれているよ。プレゼントを置いてくれていたら教えてネ。じぃじを見つめる孫の視線がいじらしい。いつまでも素直に育って欲しいと願う。
 翌25日の朝に、「じぃじ、サンタさんが来てくれて3個もプレゼントをくれたよ」とスキップしながら喜びを身体全体で表現しながら走ってきた。とにかく楽しみにしていたサンタさんだっただけに喜びもひとしおであったろう。今日26日の朝、庭のクリスマスツリーを片付けている所に孫が来て「じぃじ、どうして片付けるの?」と聞いてくる。「サンタさんがプレゼントを置いて帰って行ったのでトナカイさんと一緒に来年まで休んでもらうのだよ」と。

 庭の華やかな電飾ツリーとは違って我が家の室内ではこじんまりしたしたガラスファイバーのツリーがかわいく彩りを添えていた。
 来年も11月20日頃にはツリーを飾ってあげよう。来年は、妹の琴ちゃんも意思を表現してくれるであろう。

サンタさんのプレゼントはなにかな?


ガラスファイバーのツリー
178 2006.10.16  15日の日曜日、5歳の孫と「栗東自然観察の森」の秋祭りに行ってきた。まさしく秋晴れであった。去年は、NVRの受講生として実行部隊の一員として活動したが今年は「訪問客」としてのんびりと遊びを楽しんだ。受付で二人分の参加費と焼き芋券・クラフト券を払って入園する。まず、お母さんへのプレゼントということで孫は、クラフト「小鳥のブローチ」を組み立て始める。係員の指導に従って、手際よく?個々の“部品”に接着剤を塗布して接着しかわいい小鳥ブローチの完成だ。次に、遊びコーナーで竹馬に挑戦するも孫には竹馬が大き過ぎてちょっと無理だったようでじぃじが竹馬を支えながら2〜3歩進んだところでモウソウ竹を輪切りにして作った竹ポックリをもらって満面の笑顔をみせたまごでした。その後、約1時間かけてスタンプラリーに参加し、10箇所のポイントでクイズやゲームに挑戦しながら存分に楽しんだようだ。チャレンジ坂を元気に上って行く孫を見上げながら後方であえぐじぃじは何とつぶやいたのだろうか。
 最後に、参加者全員にフォトスタンドに木の実を接着してお土産として持ち帰る。ちょうどお昼になって焼き芋を買って秋の味を楽しむ。
 孫は、じぃじと二人で楽しんだ今日のひと時を記憶に残してくれるだろうか・・・。何年か後に写真を眺めて、この頃のじぃじはまだまだ元気だったのになあ、と回顧してくれる日がきっとあるだろう。

元気にチャレンジを上る孫

小鳥ブローチとフォトスタンド
177 2006. 8.28  レイカディア大学に入学して早、2年が経過し、8月25日(金)で全ての履修科目の講義が終った。そして、9月7日(木)の米原校での卒業式を待つだけとなる。
 2年間の修学記録は、別ページ「レイカディア大学修学奮戦記」で紹介しているがこの記事も卒業式でもって終了することになる。何がしかの寂しさを感じるが2年間に修学・体験してきた教養は私の精神及び肉体の中に存続してくれるはずだ。
 2年の後半になると、卒業論文に匹敵する「紀要」をしたためるが卒業を前に第27期生(平成17年度)の紀要が完成・配布された。5学科で学ぶ110余名全員の集大成が活字となって全371ページに表現されている。
 全生徒の思いが語られているが自分の言葉として物語った記事が意外と少ないような気がしてならない。参考文献をそのまま引用しているものもあって興味をそがれてしまう。
 下手な文章でもいいじゃないか。自分の言葉で物語ってこそ文章の中に魂が宿るはずではないのか、と思う。
 一方、「タイトル」のネーミングの重要性を感じてしまう。まず、目次を見て、タイトルに惹きつけられるかが読んでもらえるかどうかの判断基準になりそうだ。
 「読んだよ!!」と声を掛けられると嬉しくなるのは人間の性なのだろう。自分の考え方・ものの見方・判断の仕方などを伝える数少ない手段の「紀要」となった。
 私の「紀要」は、原稿が完成した時点で、「レイカディア大学修学奮戦記」の中で紹介していのでご覧下さい。
 
176 2006. 3.30  このページへの書き込みがめっきり少なくなってきた。多忙?と言うこともあってついつい目先のページの記事を最優先してしまう。当たり前と言えそうだが今回は、滋賀県社会福祉協議会が運営している「びわこシニアネット」のホームページ更新作業のボランティア作業に関っていることもあるのでこの関連ニュースを記載したい。
 現在、レイカディア大学に在学中だがある人の紹介で「びわこシニアネット」に関るようになっていたが先日、読売新聞の担当者より電話インタビューを受けていた。昨日(29日)「びわこシニアネット」の記事が読売新聞のホームページ“ボランティアの窓”に紹介された。私の恐ろしい写真・指名手配もどき写真も掲載されたが新聞紙上の記事ならいざ知らずホームページ上の紹介記事に目を通す「読者」はどの程度であろうかと想像をめぐらせた。まず読む読者はおそらく限られるであろうと思われるので地域の読者だけにでもPRしておきたい。
読売新聞ホームページの紹介記事(2006.3.29)

びわこシニアネットにかんす
記事が紹介されています
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175 2006. 2. 5  今年も確定申告の時期がやってきた。現役引退後は自分で申告せねばならなくなって例年の如く悩みの時期となる。年金生活の今となっては「雑収入」だけの身分となっても手続きの面倒臭ささには閉口する。
 「所得税の確定申告の手引き」に沿って書き込むのであるがあちこちのページに目を走らせねばならずしかも電卓を使いながら計算したりでとにかく面倒臭くて仕方が無い。
 そこで、今年は途中からだが国税庁のホームページより【国税電子申告(e−Tax)】にちょっかいをだしてみた。必要事項を入力するだけで自動的に計算されていき感心すること然りであった。パソコンをこよなく愛する身にしては余りにもうかつであった、と反省仕切りである。とにかく苦労して申告していたのが滑稽に思えてきた。 読者の中に、手書きされている人がおられると思うので是非、「e−Tax」より申告されてはいかが、とお勧めしたい。





読者の皆様もお試しあれ!!
174 2005.12.11  この11日に、二番目の孫(琴葉ちゃん)の「食い初め」のお祝いに両家のじぃじ・ばぁばをまじえての内祝いに招待される。3世代でお祝いできることは幸せなことだ。両親は勿論のこと、お爺ちゃん・お婆ちゃんまでもが孫の幸せを願って素直にお祝いできる環境に心から感謝したい。初孫のお祝いの際にも書いたことではあるが、生後100日の本人には、何もわからないことだが、成長過程の中で、「こういうお祝いをしてくれたのか」と回想してくれれば決して悪の道へ足を踏み入れることはないだろうと、エゴかも知れないが期待している。
 さて、世界大百科事典による「食い初め」について参考までに紹介しておく。
 誕生後100〜120日前後に行う生児の食べ初めの祝い。ちょうど生児の首がすわる頃なので,〈百日(ももか)の首すえ〉とか〈百日の一粒食い〉〈神初め〉などともいう。乳以外の大人と同じ食物を食べさせることによって,一段と成長を確認する儀礼である。平安朝以降の文献には,百日祝の記録があるが,民間では生児の茶椀・神・膳をそろえ,膳には尾頭つきの魚と小石をのせて祝う。小石は歯が丈夫になるためと説明されているが,産神(うぶがみ)の依代(よりしろ)と考えられる。日本人はめいめい個人用の神・茶椀をもつが,その最初の儀礼である。
食い初め


4歳離れた妹のお祝いでしたが
僕のために準備してくれた
「よいこのビール」に
僕もご満悦でした
炭酸飲料ですが泡も本物のビール
そっくりでじぃじもびっくり
173 2005.11.22  11月20日、僕にとっては忘れられない日となりました。4歳3ヶ月の快挙です。補助輪なしでスイス〜イとペダルを踏んで乗れるようになったのです。ぼくは、嬉しくてうれしくて、じぃじとばぁばを呼びに行って僕の得意げになって自転車乗りを披露しました。じぃじは、こっそりデジカメで僕の雄姿をパチリと撮りました。
 ここで、じぃじの独り言が始まりました。
じぃじの子供の頃は子供用の自転車などなかったし、大人の自転車を借りて三角窓の方に足を突っ込んで練習したもんだ。自動車も滅多に走らなかったし、坂道を利用して練習に明け暮れていたから転んだりぶっかったりして生傷が耐えんかったのだ、と。

自転車に乗れるようになりました
172 2005.10. 9  父50回忌・母25回忌の法事で故郷の佐賀に帰郷した。私が中学2年の時に、63歳で亡くなった父だがそれから50年の歳月が流れたことになる。中学2年と言えば、多感な時期ではあったが比較的に素直な?中学生でもあった。それから気丈な母と一番上の兄夫婦に青春時代を支えられながらグレルこともなく真面目に生活してきたように思う。大学を卒業し、社会人となって家庭を築いて、人の親となってから気丈な母が79歳で亡くなった。
 今こうして生活できているのは、父がいて母がいて兄弟姉妹がいたからであろう。父・母に感謝し、兄弟姉妹にもまさしく感謝である。父の年齢まであと1年だが、少なくとも母の年齢まではと元気でいたいと願っているが母の50回忌には我輩の命は・・・。「50回忌」というのは、親を早期に失い自らが長生きしてはじめて可能となる。長寿社会となった今、親が長生きすると「50回忌」なんて夢のまた夢となってくる。「マッチ箱」に住む我が家と比べて、築80年余の大きな生家は、先の地震で傷んだレンガ塀など補修中であったが維持管理が大変なようだ。この生家を守る兄夫婦が健康で長生きして欲しい・・・。
 仏間に鎮座している仏壇に合掌し、またお墓に合掌したが日頃から感謝の気持を忘れてはならないと思う。
仏間に鎮座している仏壇

これから法要が始まります
171 2005.10. 1  1日は孫の幼稚園の運動会であった。朝から、じいじは、幼稚園へ歩いて行く。運動場に着いてびっくりしたのが陣取ってある最前列には、三脚付きのビデオカメラの放列だ。少なくとも10年前までは考えられなかった光景ではないだろうか。家族にとっては子供の、孫の成長記録を残そうと早朝から陣取利に来たであろう。遠くから我が家の4歳児の孫を観察していたが、かけっこにせよ、遊戯にせよマイペースを貫いていたようだ。幼稚園に通うようになってから友達も増えて、色んな面で成長してきている事実がある。孫を遠めに眺めながら、そう感じた一日でありました。
最前列はビデオカメラが立ち並ぶ

孫はどこにいる?
170 2005. 9. 3  息子夫婦に、第2子が誕生した。予定が過ぎていたこともあって心配していたが遅れること5日目に無事女の子が誕生した。9月3日、午前11時45分に3628gの赤ちゃんだ。二人目の孫が祝福されてこの世に誕生したのだがいつものことながら生命の神秘、不思議さを感じてしまう。4歳になったばかりのお兄ちゃんも始めて対面する赤ちゃん・妹に不思議な表情を見せたのが印象的であった。
「お母さん、頑張った。ぼくお兄ちゃんになれて嬉しい」とはしゃぐお兄ちゃんにも乾杯だ。
 新たな生命を授かってこの世に誕生した孫の前途に幸多からんこと祈りたい。このじぃじも今でこそ元気だが孫と一緒に遊べるのはあと何年だろうか、とついつい脳裏をかすめて通り過ぎてしまう。
169 2005. 8.20  我が町内会の恒例の「3世代ふれあい夏祭り」である。9時に、役員全員が集まって事前に決めていた役割分担に沿って、買出しに行く者、調理を担当する者、テント張りする者、バーベキューのカマドを準備する者と手際よく準備が進められて行く。
 11時過ぎ頃から、町内会の「お客さま」が集まってくる。我が町内会も子供が少なくなって寂しくなってきたが、別居している孫たちが参加してくれることもあって結構賑やかになる。
 今年が初めての流しそうめんも人気があって、出汁の評判が上々で手作りしてくれた役員さんも苦労が報われたかも知れない。バーベキューも美味しくて売り切れてしまう。
 室内では、子供が主体となって、ビンゴゲームを進行してくれる。ビンゴがでると、番号を確認しながら賞品を渡してくれる。
 このところ夕立があるが、今日は、運良く終る頃から降りだしてきた。

流しそうめんに人気!!
168 2005. 7. 5  時期が2〜3ヶ月ほど遅れたが、シンビジュームの株分け作業をした。もう数年前にすでに処理すべきところだが今になってしまった。この状態にまでになると根こそぎに抜けないこともあって、プラスチック製の鉢を鋸で切り開くことにした。結果的には、2鉢を株分けしたので2鉢が6鉢に生まれ変わることになった。
 決して、難しい作業ではないが今後のために記録を残すことにした。
【株分けする手順】
1.根こそぎ抜けないため、植木鉢を鋸で切断する
2.根をほぐし、シンビジュームを3分割する
3.根部をよく水洗いする
4.鉢に底石を入れたあと、買ってきた市販の「シンビジューム用土」を鉢に入れ分割したシンビジュームを植栽する

 移植後に花が咲いてくれるかが心配だが、1年後いや2年後にでも美しい花が咲いてくれるのを楽しみにして育ててみようと思う。
 ところで、今回、勉強になったことだが元鉢がプラスチック製であることが助かった。写真でもわかるように、簡単に切断できありがたかった。
 市販されているシンビジュームの鉢は、ほとんどがプラスチック製だが価格対応もさることながら、こうして株分けする作業の効率性を考えて生産者の配慮があるかも知れない。
 市販の「シンビジューム用土」だが、素人にはいったい何なの?と、思ってしまう。成分表が表示されているわけでもなく、軽石と木のチップが混在されているだけの用土だ。「シンビジューム専用」の用土だから、素人は黙って使用すればよいのかも知れない。
シンビジューム(当初の状態)



垂直に切断した鉢



3分割して根をほぐす
167 2005. 7. 4  かわいい孫は来月で4歳になる。4月から幼稚園に通園中だが集団生活の中で、社会性を身に付けてきたようだ。
ある日、道路で遊んでいた孫との会話である。
 「プープ−が来たから危ないよ」
 「じぃじ、車とか自動車と言ってよ」
 「わかった、わかった。もうプープ−とは言わないね」
翌日のこと
 「プープ−が来たから危ないよ」
すると
 「昨日も言ったでしょ、車とか自動車と言ってよ」
 「ごめん、ごめん、プープ−と言わない約束だったね」
 赤ちゃん言葉から抜け出せないじぃじでした。おおいに反省しきり。

その孫も来月には、実質的に正真正銘のお兄ちゃんになる。
166 2005. 6. 5  いつもの「あなたの街から出発」の一泊バスツアーに、夫婦で参加した。前日の雨も上がって国道1号線にある指定されたバス停まで歩く。そこには、同じ町内会の人が夫婦で待っておられ、しかも娘夫婦も一緒であり、身近で手軽なバス旅行という印象を強くする。ツアー名は、「道後温泉一泊としまなみ海道・宮島・瀬戸内クルーズ2日間」である。
 バスは、名神・山陽道から瀬戸内しまなみ海道、新尾道大橋・因島大橋を渡って大三島・大山祗神社で参拝する。境内にある天然記念物の樹齢2600年という楠の木を見上げて溜め息をつく。人間なんて偉そうにしているが歴史を刻んだ空洞化したこの楠の木の生き様には到底及ばない。道中、テレビコマーシャルでお馴染みの「伯方の塩」工場を見学する。生産工程の設備は、みるからにステンレス製だ。ステンレスといえどもやはり錆が発生するらしく、終業後には時間をかけて水洗いをするらしい。塩が溜まる場所には、ステンレスではなく「竹」が組まれていた。夕刻5時過ぎに、宿泊する道後温泉・ホテルに到着する。夕食後の7時30分頃から界隈を散策し、定時刻に演出する「カラクリ時計」を眺めつつデジカメビデオを撮る。その後、名高い道後温泉・坊ちゃん湯に行き、ふるびた湯船にしばし浸かる。ふるびた湯が良いのだろうが浴場だけは少なくとも「清潔感」が欲しいとの思いが湧いてくる。とにかく「坊ちゃん」にまつわる「商品」がやたらと目に付くが思えば坊ちゃんの地域貢献度はなんと素晴らしいことか。
 2日目は、「瀬戸内海クルーズ」とはいうものの単に連絡フェリーに乗っただけだに過ぎない。宮島への連絡船に乗っての印象が悪かった。海に、弁当の残骸やペットボトル等々のゴミが余りにも多く浮かんでいる
のではないか。日本三景の看板が泣いてるぞ!!。観光客のマナーの無さがここにもあった。
 でも、思い出の1ページを綴ることができたようだ。
夜景に浮かぶロマン


からくり時計
165 2005. 5.29
 夏の暑い期間(延べ3ヶ月)に、一緒に勉強したホームヘルパーの同期8名が希望が丘公園・青年の城に集まった。毎年集まることにしているが参加者が毎回変化するフリーな同期会である。机を並べて勉強した守山市にある「平安女学院大学」も撤退することになっているが同期会は継続するであろう。お互いに、近況を報告する中でハーモニカに親しんでいる人、オカリナ演奏に取り組んで人がいてその音色に聞き入る。皆さんそれぞれに精一杯に頑張っている。
 近況報告の合間に、持ち寄ってくれたスポーツ用具で使ってちょっぴり汗を流す。2日前のレイカディア大学のニュースポーツ大会で初経験したグランドゴルフを楽しむ。
 会話の中に、思わず年齢を感じ取る言葉が飛び出してくる。今は、親の介護をしている立場であるがそのうちに自分達が介護される立場に変わってしまうのであろう、と。
それぞれが自分の老後を真剣に考えているようだ。とにかく健康に注意してまた出会うことを期待したい。

集まったホームヘルパー同期
164 2005. 4.11

 10日、「栗東自然観察の森」が主催する第9期NVR(ネイチャー・ボランティア・レンジャー)要請講座の開講式 であった。30人の受講生は3つの班に編成され、さらに各班に3つの委員会(企画運営・記録広報・研究)が設置されて、いずれかの委員会に所属せねばならないという。これらの委員会は、講習終了後にボランティアとして活動する場合に、参加者が自らの手で活動できるように仕向けられるように、この受講期間に手法を学び取るように組まれたカリキュラムのようだ。従って、班活動・委員会活動の全てが自主的に計画し活動することだという。
 従来は、特に意識しては自然と向き合っていなかったことに気付く。この講習会に参加することが自然との接触の第一歩となり、我が人生にと
って、どのような形であれプラスとなって還元されるはずだ。自然の恵みに感謝せねばなるまい。
 関係記事 ページ「ブログ人への仲間入りをご覧下さい(ここをクリックする)

栗東自然観察の森
163 2005. 4. 2  4月10日に開講式を迎える「自然保護活動の推進者養成講座」だが、受講を前に【ブログ人への仲間入り】というページを新設した。
 ブログ人ってなに?
提供するプロバイダーの説明をそのまま転記すると
 ブログ人は、「記事を書く人(ブログ人)」と「読み物としての記事(biogzine)」に注目した、「思ったことを書く、そして読む、繋がる」をコンセプトにしたブログサービスです、とある。
 いずれにせよ、通常のホームページとブログの大きな違いは、ホームページが市販ソフトを使うにせよ、レイアウトを含めて自分で作成することに対して、ブログは、記事を含めて必要事項を日記風に入力するだけで決められた構図が出来上がっていくと言うことであろう。従って、ブログの方が一般的には簡単と言うことになろうか。

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162 2005. 3.28  平成16年度がもうすぐ終る。
私にとっても終止符を付けるものがあるかと思うと出発点に立つものがある。勿論、継続するものもある。身辺整理をしながら、新しい活路を構築せねばならない時期である。
 まず、終止符を付けるのが2年半勤めた「責任」ある仕事との別れである。現役引退後に、紹介されて就いた仕事に感謝している。
 また、小さな自治会の会長として、任期1年の任務を終える。NHKで放映されている「ご近所の底力」自治会とついつい比べてしまう。向こう三軒両隣、ご近所づきあいを含めた自治会活動・運営に課題を残す。「自治会」という社会性の捉え方が世代によって大きく違ってきているということだ。地域に生きる人間としての個々の考え方が違いすぎるということであろう。自治会加入のメリットを求めるよりボランティア精神の必要性を考えて欲しいと願う。
 さて、新しい活路とは、「人材シルバーセンター」に登録したことだ。このホームページでも紹介しているように、今「レイカディア大学」の学生であること、さらに4月からは「自然保護活動の推進者養成講座」を1年間受講することこともあって時間的にかなり制約されることになる。この環境の中で仕事をすることができるかどうかはなはだ疑問だ。修学に、ボランティアに、仕事に、と3本柱と共存しつつ育てていきたい。
春本番  さくら草


狭い庭にも色々な花が春を告げてくれる。
このさくら草は、数年前に熊本の姉に
株分けしてもらったものだが元気に子孫を
残してくれている。
161 2005. 3.10 3週間前に、炊飯器を買い換えた。
 はっきりした記憶は無いがもう10年も頑張ってくれたのだろうか。炊飯機能は正常だがタイマーが動作しなくなつたこともあって思い切って買い換えることにした。AV機器やパソコン等々は興味津々でそれなりの知識を持ち合わせているが普段触れることもない台所機器には興味もない。従って、炊飯器そのものの知識が皆無と言うこともあって近くの電器量販店に行ってカタログを集めたり店頭価格を調べてみた。各社各様の炊飯器の多さにも驚いたが、最終的な決め手となったのがたった一つ「高温スチーム再加熱」機能にあった。
 従来の炊飯器は、保温しておくとどうしても硬くなってパサパサ感があってご飯がおいしくなくなる。そこで保温せずに食べる時に「チン」する方法をとることになっていたようだ。ところが、今回の新機能では、「高温スチーム再加熱」機能を使うことで炊き立て同等となる。この機能はありがたい。メニュー数も8つあることは妻にとってはありがたい機能かと思いきや使う機能は半分だと言う。あまり必要ではなかったようだ。
 標準価格の4割で買えることもあって今回もインターネットを利用した。
高温スチームIHジャー炊飯器


「全面パワー5段IHと銅釜」がPR文言
160 2005. 2. 7  昨日は、3級技能検定(機械検査/国家試験)の事前実技講習会に行って来た。 今年度(平成16年度)より、受検資格が緩和されて工業高校に入学すると同時に受検資格が得られるようになった。そこで、滋賀県職業能力開発協会では、県内の工業高校と講師をお願いする企業と連携をとりながら「若年者ものづくり人材育成事業」として取り組んでいる。我輩も、工業高校と企業との架け橋となるべき一翼を担っているが初年度と言うこともあって、モタモタしている感を免れないが受検生全員が合格してくれることを願っている。
 講師を引き受けてくれるご本人は勿論のこと企業に素直に感謝である。今回は工業高校の要望で講習日が日曜日となったが気持ちよく引き受けてくれた。何とも有難いことだ。
 講師派遣企業は、もともと地域社会との密着・交流を大事にしているからだろうがなかなかできないことだ。企業である以上、利益追求が一番になることはわかるが地域への貢献・社会への貢献も頭の片隅に入れていただいてご協力をお願いしたい。
国家試験/3級技能検定


事前実技講習会(機械検査)
159 2005. 1.21  昨年10月の合併により「湖南市」になって、我が旧石部町も「生ごみ処理機」購入に際し最大2万円の助成金が交付されることになった。この恩恵にあやかろうと早速、生ごみ処理機を購入し助成金を申請した。
 処理方式には次の2種類がある。
@温風乾燥で「除菌」する乾燥式A送風乾燥+バイオ処理のハイブリッド式結果的には、臭いが無くて室内に置けてメンテナンスが簡単なものということが決め手となって乾燥式を購入した。「燃えるゴミ」の分別もさることながら処理後の残骸を有機肥料として園芸などへの再利用が出来るのが魅力だ。現在、レイカディア大学園芸学科に入学して勉強中でもあるし畑の肥料としても使いたいとも考えている。ところが、生ごみを処理してそろそろ1週間になるが生ごみを処理することで約1/7に減容することもあって残骸の「肥料」はたまりそうにも無い。これはむしろ喜ぶことかも知れないが夫婦2人だけの生活で発生する生ごみは意外と少ないことを改めて知ることとなった。
 今回も、インターネットで購入したが本体価格も安く、かつ代引き手数料も配達料も不要とあっては近くの家電量販店で買う気にはなれなかった。


生ごみ処理機(乾燥式)
158 2005. 1. 1  あけましておめでとうございます。
「1年の計は元旦にあり、1日の計は鶏鳴にあり」と言いますがこの地でも鶏鳴を聞くことすらできなくなってから久しくなる。「早起きは三文の徳」とも言うが色んな意味で先人たちの生活の知恵に感嘆することが多くなってきた。これも現役を退いて年金生活者となってから私的に使える時間が増え、かつ「反省する材料」として省みる絶好の機会を得たこと意味しているのであろう。余命と言うのを考えると限られた時間の消化をおろそかにできないということを意識せざるを得ない。不思議なことに幼少の頃から、「鶏鳴」とともに起きる習慣が身についていて、今でも早朝(5時30分頃)にはベットから抜け出ている。起こされた経験が無いのが自慢と言えば自慢である。とにかく目が覚めてからベットの中にいることが大嫌いなのである。
 元旦に受け取る年賀状はありがたいし嬉しいことだから、旧年も早々に年賀状を投函していた。元気に生活しています、とのメッセージである。
今年も、あくまでマイペースで365日の日々を乗り切ろうと決意させる年初である。
明けましておめでとうございます

年賀状その

*年賀状は年1回の近況連絡書で
あるが故に宛先グループ毎に
文面を変更している。
157 2004.12.28  今年(申年)は、アテネオリンピックで興奮と感激を貰った一方で台風やら地震やらで日本中を震撼させて自然の猛威に人間の非力さを思い知らされて暮れようとしていた。ところが年末にまたもやスマトラ島沖の大地震による津波の被害甚大ニュースだ。現段階での犠牲者が23,700人と言うがさらに増加の見込みだと言う。犠牲者の多さに愕然とするが、専門家の間では従来からこの地区では津波が発生したとしても大洋のため威力が分散されて被害は小さいと言われていたそうで防波堤も無かったという。「津波情報」が流れていれば逃げることも可能だったろうに残念なことだ。楽園が瞬時に地獄と化したニュースは、一寸先は闇ということか。
 今日で年末の大掃除を完了した。新年を迎えるための心の持ちようにすぎないが大掃除をすることがこの1年の感謝と新年への希望をつなぐ架け橋となると思うからだ。大掃除をしても現物はあまり変わり栄えはしないが気持ちだけは晴ればれまさに日本晴れだ。
156 2004.11.27  10月に、滋賀県レイカディア大学・園芸学科に入学したことを紹介(No.153)したが2ヶ月が経過することもあって、「レイカディア大学修学奮戦記」としてページを新設し、この学園生活を皆さんに紹介することにした。
 ホームページとしては素人故に幼稚で垢抜けしないが学生が生の声を発信することによって“老体”いや失礼、若者に負けない気力の持ち主の学生を紹介できればと願っている。
一度ご覧になって下さい。

ロゴをクリックして下さいネ!
155 2004.11.23  21日、東海道石部宿ふれあいウォーキングが開催された。錦秋コース(約20Km)・歴史コース(約12Km)・浪漫コース(約5Km)の3つのコースから自分の健脚度合いと相談して選択できるように配慮されていた。我が町内会からも9名が参加したが無理をしないことを前提にしていたこともあって最短の浪漫コースを選択した。
 9時に湖南市役所西庁舎(旧石部町役場)に集合し、開会式のあと「石部太鼓保存会」のメンバーによる太鼓の音色を聞きながらそれぞれのコースに元気よく飛び出して行った。浪漫コースを選択した連中も雨山運動公園に通じる坂道を登り、途中から「臥龍の森」のハイキングコースへと足を踏み入れる。日頃運動不足の面々にとっては結構膝にくる急坂がある。小春日和りの太陽光線を体一杯に浴びて黙々と歩く額にはうっすらと汗が滲んでくる。山頂の龍王の峰からの眺望は、近くにまたは遠くに紅葉の木々が広がり輝いていた。道中の茶屋では誘惑に負けて甘い甘いぜんざいを食する。のんびりウォーキングしたこともあって約2時間30分ほどかかってお昼過ぎにゴールする。記念品としてTシャツをいただく。
 欲になるが、紛らわしいコースで迷ったこともあって「水先案内者」の必要性を感じたことをアンケートにしたためて帰る。実行委員会の皆様、ご苦労様でした。
東海道石部宿ふれあいウォーク


石部太鼓の音色に見送られてスタート



雨山運動公園に通じる坂道




龍王の峰から栗東トレセン方面の眺望
154 2004.11.15  7日、合併後初めての湖南市長選挙が行われた。立候補された3人ががいずれも旧甲西町ということもあってか我が旧石部町民は盛り上がりに欠けたようだ。前評判では、前甲西町長と元甲西町長との一騎打ちと見られていたが結果的には大差で前甲西町長が初代湖南市長に選出された。これからの市政をまかす湖南市の初代市長選挙としては投票率51.52%ではあまりにも低すぎる。この投票率が示すように、無関心層が増大していく市民の多さに歯痒い思いだ。投票率の詳細分析を見たいところだが旧石部町が足を引っ張っているのであろう。
 もっとも身近な選挙であれば少なくとも80%以上の投票率であって欲しい。権利を主張する前に、一市民として投票という義務を果たすべきだ。
 この28日には、県議会議員甲賀地区の補欠選挙が予定されている。いっそのこと無投票の方がスキッとする。
153 2004.11. 1 「滋賀県レイカディア大学」に通学するようになってちょうど1ヶ月が経過した。60歳以上の学生だがお互いに経歴を聞かないようにするのがエチケットのようだ。過去の肩書きがわかるとどうしても「遠慮」が働き平等の学園生活が保てなくなるのであろうか。
 履修計画に沿っての授業だが授業の開始前に、全員が「校歌」を斉唱し、講義が終ると代表者が「謝辞」を述べる。学科ごとに各委員が決められていて当番の日には、資料のコピー・配布をする。この大学の伝統のようだ。
 先日、クラブ活動として書道・絵手紙・囲碁・卓球・てん刻・社交ダンス・写真・自彊術等が先輩(2年生)より紹介された。
 いずれのクラブも現役を退いた「仲間」だけに結構楽しそうである。
  レイカディア大学校歌(レイカディア賛歌)を紹介しておこう     
152 2004.10. 2 10月1日(金)
 今日は、滋賀県社会福祉協議会が運営する「滋賀県レイカディア大学第27期生」の入学式であった。レイカディアは、「レイク(湖)」と「アルカディア(古代ギリシャの理想郷とされた地名)」を組み合わせた造語で湖の理想郷を意図するという。
 入学資格は、滋賀県内に居住する60歳以上ということであったので入学願書を提出していたが定員以上の場合の選考基準がわからないがとにかく「入学許可をいただいた。
 地域のリーダーとしての必要な知識・考え方また、地域活動の企画・運営の方法などを実地研修を含めて修業年限は、2年である。
 必修講座は、人間理解・郷土理解・社会参加・学校行事からなり、選択講座は、園芸学科・陶芸学科・生活科学学科・文芸学科・スポーツレクレーション学科がある中で希望通り「園芸学科」に入学を許可されたのである。

 月に5〜6日の登校となるが定年後の肉体に鞭を打ちながら頑張ろうと意を新たにしている。
滋賀県レイカディア大学

入学式風景

151 2004.10. 2 10月1日(金)
 滋賀県甲賀郡の7町が5町と2町とに分離し、甲賀市と湖南市とに独立して市制をしいた。
 甲賀市は、水口町・甲南町・信楽町・甲賀町・土山町の5町が合併して形成された人口92,708人からなる。
一方、湖南市は、甲西町と石部町の2町が合併して形成された人口53,077人からなる。
 平成の大合併が加速されつつあるが合併によって地域住民の生活がどう変化していくかを見守らねばならぬ。合併によってよりよき方向へと改善されることを期待したい。

 わが町・石部町が湖南市となったことからこのホームページも改訂せねばならないがとりあえずインデックス画面のみを見直すことを考えている。
150 2004. 9.25 @23日(秋分の日)に、夢街道・石部宿まつりが旧東海道筋と役場周辺で開催された。
 仮設舞台の演奏や駐車場を利用してのフリーマーケット、模擬店など結構賑わいを見せていた。旧東海道筋の施設「田楽茶屋」ではうどん・ぜんざいコーナーが設けられ、「石部宿駅」は囲碁・将棋の会場になっていた。
 お昼からは、規模は小さいながらも夢街道行列〜石部宿を行き交う新撰組と幕末の人々〜をテーマに旧東海道を練り歩き見物客を楽しませてくれたようだ。
 また、駕籠かきレースでは、笑いを誘うシーンが数多くあり見物客を和ませてませてくれたようだ。

A19日、石部町最後の町民運動会が開催された。10月1日には、隣町・甲西町との合併で「湖南市」が誕生することもあって石部町としての最後の町民運動会となる。市制を意識して、4月からは新しい行政区分がなされておりこの行政区分によって総合優勝を争うことになる。
 予想されたことだが、新行政区分によって、各町内会の運動会に対する雰囲気は今ひとつ盛り上がりに欠けた。ただ、わが「石部中央区」が、見事に総合優勝を果たすことが出来たのは体育委員をはじめとする役員と各町内会の協力があっての結果と言えるだろう。
 運動会が終る頃に雨に降られたが何とか一大イベントが終ったことでホッとした気分になる。
 来年度の運動会がどのように形で実行されるかは現段階では不明だが、湖南市全体としての大運動会は不可能であろうし、今年と同様に旧石部町としての運動会となることが有力視されている。
 いよいよ、「湖南市」へのカウントダウン
となるが生活環境がどのように変化すめのか見極める必要がある。11月になると初めての市長選である。
夢街道・石部宿まつり



第44回町民運動会

大縄跳び
149 2004. 9. 6  今回は、愛妻が下した一大決心の二つの話題を紹介することにしたい。
やりくり上手?の妻が今回は自分の大事なヘソクリから思い切り良く購入資金を捻出した。相当の決心が必要だったかと想像するが意欲に敬服し、その恩恵にあやかりたいとぐうたら亭主はちゃっかり決め込んでいる。
@専用パソコン購入
 私が5年前に購入していたノートパソコンを愛妻専用パソコンとして提供していたが当時は高級機種だったが今では機能的にも見劣りし、何と言っても、ディスプレイ部にメカ的に致命的なガタが生じたこともあって思い切りよく買い換えることにしたのだ。愛妻は、使いこなせないこともあって機能的には高望みしなかった。要は、安いパソコンで十分だというのだ。
 ただ、私は、どうせ買うのなら後悔しない為にもある程度の機能が欲しいということで予算不足の分を継ぎ足すことにした。実は、必要な時に我輩が使わせて貰いたいとの思いがあったからに他ならない。勿論、とっくに見抜かれていたがお陰で機能的にも納得できるパソコンを買うことができた。

A
フイットネス機器購入
 夫婦でフイットネスクラブに通うようになってから2年が経過したがはっきり言ってその効果は定かではない。ただ、言えることは楽しみながら汗を流すことが出来ているということだ。そのフイットネスクラブに1ヶ月程前に松下電工の「ジョーバ」5台が設置された。クラブ員も結構利用しているし、愛妻も非常に気に入ったらしく居ながらして健康づくりが出来そうだと、自分で買いたいと言い出した。
 カタログの説明によると
「普段の生活ではほとんど使わない筋肉がジョーバの反射運動で無意識のうちに動かされ基礎代謝が高まって脂肪が燃えやすくなる。リバウンド知らずの太りにくい体質(燃焼ボディ)を目指す。ダイエットの近道は基礎代謝を高めることです」とある。さらに、説明文によると、前後スイングと左右スイング動作によってジョーバ30分はウォーキング60分に相当するらしいが果たしてどういう結果となるのか楽しみだ。居間に鎮座したジョーバだが孫にとっては遊具として楽しんでいる。
 今回の購入に当たっては、インターネットで買うか近くの量販店で買うのか比較検討してみると、パソコンは量販店、フィットネス機器はネット購入の方が安く買えることが判明する。
愛妻専用ノートパソコン

NEC LaVie Lタイプ


鎮座したフィトネス機器

松下電工製 ジョーバ
148 2004. 9. 5  8月22日(日)、町内会の年間行事の一つである「3世代ふれあい夏祭り」を開催した。三役をはじめ地域活動・子供育成会・社会福祉・健康づくり等々の各推進委員達が協力しあって開催する町内会のふれあいの場でもある。それぞれに役割分担を決めての活動だが、ビール・ジュース・お茶を飲みながら今年は、健康づくり推進委員の方が作ってくれた健康サラダを食べつつ、バーベキューを中心に、焼きそば等を食す一方で子供達は、風船釣りや西瓜割りに歓声をあげて楽しんだようだ。かき氷は、大人にとっても子供の頃を思い起こす懐かしい風物詩でもある。
 最後は、子供が進行役となって、参加者全員でビンゴケームに興じながら3世代が一堂に集まっての楽しいひと時を過ごすことができた。
 幸いにも真夏の陽射しが一段落していたが、バーベキューを担当してくれた顔にはた玉のような汗が流れ落ちていた。まさしく、裏方さんは大変だあ〜〜。
 終る直前になって雨が降りだした。テントが濡れたことが予定外だったが無事に一つのイベントが終ったことは確かである。
 今年は、自治会の会長として参加したのだが各役員達はそれぞれに経験があるとはいえ手際よく進行してくれたことに素直にただただ感謝である。

裏方さんは大変だぁ〜〜
暑い・熱いぞう〜〜

バーベキュー
147 2004. 8. 5  8月4日は、孫の3回目の誕生日であった。
「ぼく3歳になったよ」と指3本をぎこちなく差し出す孫。数日前から誕生日を心待ちにしていたようだ。テーブルの上に並べて置いてあった両親やじいじ・ばあばからのプレゼントの包みを開けることなく夜の誕生会までじっと我慢して待っていた孫がいじらしい。
 言葉もはっきりしていて、大人と対等におしゃべりできるようになってきた3歳児が頼もしく見えてくる。日々進化する知能には正直驚かざるを得ない。「三つ子の魂100までも・・・」というように、この時期は幼少時にとって一番大事な成長期となる。学研の図鑑(魚・恐竜・動物・昆虫・鳥)を見る目も真剣なら、ブロック遊びをする知恵の使いどころもたいした物だ。ブロック遊びでの想像力・豊かに組み上げる潜在能力は、遥かに大人を凌ぐ。こうした素晴らしい能力を磨くのは、成長時期にあった本人の努力に負うことが大きいのであろう。このじいじ自身は、この大事な時期に努力しなかったかも知れない。この時期にそれなりの努力を怠っていなかったら違った道を歩いていたかも知れないな、と思う。でも現状となると平凡ながらも淡々とした生活にある光を見出している。
 孫を取り巻く環境が大切だ。家庭環境もさることながら、じいじ・ばあばを含めて孫と接する機会のある環境が重要となってくる。これから成長するにつれて幼稚園や小学校へ入学することになるであろうがこのあたりから孫を取り巻く環境が大きく変化していくことになろう。とにかく、じいじの願いは、単純に、世間に迷惑をかけない分別ある人間に成長してくれることだけを願う。
 孫を見ていてもそうだが全ての子供を見ていると「性善説」を疑う余地など生まれてこない。全ての子供はあどけなく、かわいい。まさに天使だと思う。
 世間では、若年者の信じたくない凶悪事件が報道されるがこれらの少年・少女も天使の時代があったはずだ。どういうボタンの掛け損ないがあったかわからないが根底に潜む原因を解明しきれないのが現実だ。
 家庭環境もあろう。地域社会のあり方にも問題があろう。師弟関係にも問題があるかも知れない。義務を忘れて権利ばかりを主張する人間が多くなっていることも世の中を歪んだ方向に導いているかも知れないのだ。家庭教育や学校での教育等々模索する社会現象ということであろうか。いずれにせよ、大人・個々の人間が自己研鑽しなければ安心できる社会は築かれないであろう。
誕生会

学研の図鑑



走るトーマスセット
146 2004. 6.30  27日(日)、自治会で「ゴキブリだんご作り」を開催した。健康づくり推進委員が中心となって、ここ数年、この時期に開催しているが結構評判がよく今年も20名の参加者を得て和やかな雰囲気の中でゴキブリだんごが出来上がった。
 材料は、皆さんもご存知かと思うが、ほうさん・小麦粉・砂糖・たまねぎ・牛乳である。実際の指導は、保健衛生推進委員があたり、ミキサーの音が心地よく響いていたがたまねぎ独特の刺激で目が痛む。生地ができあがるとおおよそ3センチ程度の大きさのだんごが次々と並べられた。
 だんごを乾かす時間を利用して、町の保健婦さんと歯科衛生士のお二人に来ていただいて「歯周病の予防」についてのお話をしていただく。よく「8020運動」の言葉を聞くが80歳で20本の自分の歯を持つことは相当の努力をしないと極めて難しいはずだ。
 小さな自治会の会長を務めているが、資料の作成・配布や諸行事の運営・実行等々で結構忙しい。ある意味では現役を引退して時間的にも余裕があって且つ健康なこの時期この年齢でないと社会奉仕的な
任務をこなすことができないのかも知れない。
ゴキブリだんごつくり

材料



保健衛生推進委員による作り方の説明
145 2004. 6.21  台風6号が接近している最中に、今日から受付が始まった「滋賀県レイカディア大学」の入学願書を提出した。「放送大学」にするのかこの「レイカディア大学」にするのか迷っていたが時間的な余裕というのか自分自身の生活スタイルに合ったコースということで後者を選択した。滋賀県社会福祉協議会が運営している大学だが人生80年時代を迎えて、高齢者(60歳以上)に生涯学習の機会を提供して社会参加や地域づくりにおけるリーダーを要請するために開設されている。修業年限は2年間だが1日当たり4時間程度で登校日は1ヶ月あたり5〜6日程度で無理なく通学できそうである。必修講座としては、人間理解・郷土理解・社会参加・学校行事の学習領域があり、選択講座としては、5学科の中から第1希望として「園芸学科」とし、第2希望として「陶芸学科」を選択した。各定員が25名と少ないため入学を許可されるかどうかわからないが、人生80年時代のボランティア活動に備えての挑戦である。まずは入学を許可されると10月から「学生」となれる訳だ。
144 2004. 5.16  3月、あるサイトのホテルモニターキャンペーンに応募して「1人無料宿泊」に当選していた。4人宿泊の場合は2人が無料ということでうれしい反面、すぐに予約・納金せねばならないこともあってこのサイトの信頼性に一抹の不安があった。予約したいホテルに問い合わせをするなど疑惑を解消してから予約・納金していた。
 過去何度が行っているが13〜14日、妻の両親と一緒に伊勢・鳥羽方面にドライブした。まず「鳥羽湾めぐりとイルカ島コース」遊覧を楽しむ。前日の雨が嘘のように快晴の伊勢湾は美しかった。イルカ島では、アシカやイルカのショーを楽しんだあと鳥羽市の安楽島(アラシマ)にある今回の目玉ホテル・マリテームにチェックインした。それぞれが和・洋室の二部屋に案内していただいたが謳い文句の“オーシャンビュー”の部屋からの眺めは最高だ。看板に偽りなく食事も最高だった。例えば、紹介されていた通りの食事が運ばれてきた。
 お品書き
   先付   蟹の木の子和え
   御造り  鯛・伊勢海老・ホタテ貝・寒八・烏賊
   鍋    伊勢海老・魚貝・野菜の寄せ鍋
   焼物   伊勢海老鬼瓦焼・ホタテ貝磯焼
   洋皿   鯛のソテーバジルソース温野菜添え
   温物   茶碗蒸し
   揚物   天ぷら・穴子・ししとう
   酢物   ニース風海の幸マリネ
   釜飯   雲丹釜飯
   椀物   鯛の潮汁
   果物   メロン
   香物   おつけもの
 貧乏人の性が頭を持ち上げてくる。食べきれないくらいの料理を無理して食べたのかも知れない。うに釜飯はおにぎりにして翌日の昼食にしたくらいだ。普段では、高価すぎて到底敬遠する内容だったかも知れない。庶民だよな
御造り

鯛・伊勢海老・ホタテ貝・寒八・烏賊


椀物と釜飯

鯛の潮汁と雲丹釜飯
143 2004. 5. 9  5月1日は、近くの氏神さんである吉御子神社の例大祭であった。さつき晴れの言葉のように快晴に恵まれてのお祭りとなったが今年は一つの自治会の会長としての参加となる。大人が曳く神輿や子供が曳く神輿・花たる神輿・車たる神輿の4基が51番目の宿場町・旧東海道街を練り歩く。子供神輿の安全をガイドすべき先頭に立って後ろ向きに歩いたが必死に曳く無邪気な子供の顔にひた流れる汗に救われたものだ。この子らの記憶の中に子供時代のよき思い出としていつの日にか甦ってくることを期待したいと願っている。“おっちゃん暑いよ〜〜”と訴えた人なつっこい男の子の笑顔が印象的だった。
 吉御子神社の本殿は、1865年に京都の上賀茂神社の旧本殿を移築したもので、崇徳天皇時代の創建と伝えられ、厄除け・安産・交通安全に御利益があるそうです。
みどころ
本殿(江戸時代・重文)、祭神・木造吉彦命坐像、随神坐像ニ体(平安時代・重文)、神輿一基(町文)
氏神(吉御子神社)の例大祭

こども神輿
142 2004. 4.25  4月の中旬に所用があって九州に帰った。大阪南港より名門大洋フェリーで新門司に渡り九州自動車道を走って熊本に辿り着く。ここで数日間滞在した後、ふるさとの佐賀に立ち寄る。4月の中旬ということでまばゆいばかりの新緑が迎えてくれた。筑紫平野のど真ん中には春風になびく麦畑が広々と広がっていた。いつの時代にか忘れ去られていた麦が広々とした田んぼ一面に作付けされていることに驚く。この麦畑から空高く舞い上がる雲雀が懐かしくしばし足を止めて空を見上げていた。高校生の頃までは、米と麦が農家の作付けであったが減反という政策に麦作りが忘れ去られたようだがこの広大な田んぼに麦が舞い戻っているのを見た時に、農家の実態を知らない者が「まだまだ農家も頑張られるな」と気を強くする。
 早朝に、筑後川の支流である「佐賀江川」の堤防を散策するとあちこちに太公望が5〜6本の竿を川辺に垂らしていた。今も昔もかわらないようだが鯉やススキやうなぎが釣れるという。ただ、一人の釣り人に声をかけてみると、昔と違ってきたのは釣った獲物をリリースするのが多いというのだ。飽食時代も原因のひとつに違いないが最も大きな原因は、水の汚れにあるだろうか。河川工事で昔の面影とは違ってはいるものののどかな春の風景であった。右の写真だが、木陰に釣り人がおられるがわかるかな?
ふる郷ののどかな風景


筑後川の支流「佐賀江川」水門を望む
141 2004. 3.31  3月22〜23日、読売旅行の「勝浦温泉露天風呂めぐりといにしえの熊野路2日間」という1泊2日のバス旅行に参加した。
 勝浦温泉には過去数回宿泊したこともあって特別に目新しい旅行ではないが温泉の魅力に惹かれての旅行を楽しんできた。
 1日目は、あいにくの小雨模様であった。尾鷲で「てこね寿司と猟師汁」の昼食を食した後、鬼ヶ城の奇岩見物をする。小雨であったが風が強くて折りたたみ傘がお皿になるなど早々にバスに戻らざるを得なかった。勝浦桟橋より連絡船に乗り「中の島ホテル」に到着する。夕刻から翌朝出発するまでに3回ほど温泉につかってのんびりした気分で温泉を楽しむ。一緒に旅行した妻も、両親も何度か温泉につかっていたようだ。日頃のあわただしい生活から開放された気分に浸れるのが温泉旅行の醍醐味ではないかと思う。
 2日目は、雨も止んで青空が広がっていた。もうすぐ世界遺産に登録されるという熊野古道・いにしえの道を散策する。大門坂から専門ガイドさんの説明を聞きながら樹齢800年の夫婦杉をはじめ、200本の杉の古木が坂を挟むように立ち並ぶ熊野古道を歩く。さらに階段のつづく参道を登って熊野那智大社と西国一番札所・青岸渡寺に参拝する。昼食後、那智の滝(滝幅13m・高さ133m)の壮大さを改めて意識したひと時であった。
族旅行(両親と夫婦と)


鬼ガ゙城



熊野古道(大門坂入り口)



熊野那智大社
140 2004. 3.13  この11日は61回目の誕生日であった。この年齢に達すると誕生日と言っても特に意識して嬉しいものでもないが年輪と言うのか疎密に刻まれていく人生の喜怒哀楽の姿・航跡そのものの重みを意識してくる。回顧するには早すぎるような気もするが我が人生の足跡をそっと振り返ると幼少時代から全体的にみて比較的に恵まれていたかと思う。親にとっては、戦後の生活は楽ではなかったと思うが社会全体がどん底生活であったろうからそう苦にならなかったということかも知れないし親・兄弟に感謝せねばならないだろう。
 戦時中に生まれ、けたたましい「空襲警報」の合図に、親父に背負われてに防空壕の中に逃げ込んでいたあの恐ろしかった記憶が今でも読み返ってくるから不思議だ。ちょうどかわいい孫の年齢・2歳の時だ。楽しい思い出は何ひとつ覚えていないが怖かった記憶のみが鮮明に残っていて今も思い出す。
 じぃじの誕生日と言うことで、隣家に住む息子一家に夫婦で招待されました。このじぃじは正式な名前がわからなかったのですがスパゲティーカルボナーラ、ライスコロッケ等々のイタリアン料理に舌鼓をうちました。
食後のデザートはアップル入り手作りケーキでしたが市販のケーキよりもおいしい出来栄えでした。いつもよくしてくれる嫁いや愛娘に感謝です。ありがとう。
139 2004. 3. 8  昨日7日(日)に大阪茨木の宿舎へ、関西に住む中学の同窓生5人で行ってきた。毎年のことながら大相撲の大阪場所が始まる1週間前の日曜日に同級生の押尾川親方(元大関大麒麟)に会いに行くことが恒例化している。今年は都合もついたので茨木駅で待ち合せて同窓生5人で宿舎へ向かったが、道中で「親方のお母さんが亡くなったことが新聞に載っていた、という。会えないかも知れない、と会話しながら宿舎に着く。
 親方曰く、新弟子検査もあり、
通夜だけ済ませてトンボ帰りで戻ってきたというのだ。実は、去年の8月に中学校の同窓会で出会ったばかりだが再会する楽しみ・嬉しさは年齢を加算するほどに大きくなってくる。
 ちゃんこ鍋を囲みながら、おいしい具沢山ちゃんこのエネルギーを蓄えつつひと時を過ごさせてもらった。
 宿舎を後にしてから、駅近くの地下街でビールを飲みながら旧交を温める。来年も出会うことを約束して解散となる。  
138 2004. 2.16  我が家の不定期の家族一泊旅行が実現した。娘が以前に旅行して“食べきれないほどの蟹料理だった”との思いから娘が提案してくれて実現した旅行である。
 2月のドライブ旅行は、日本海側ということもあって積雪を心配して予約することを躊躇していたが、ホテルに問い合わせてみると「キャンセルは当日のお昼までならOKです」ということだったので新年早々に予約して2/13〜14のドライブ旅行となる。
 我輩の車と息子の車の2台での出発だ。何度か休憩しながらも名神・中国・舞鶴自動車道を乗り継いで目的地の国民年金健康センター「丹後おおみや」に到着する。「かにフルコース会席」は、2歳の孫の口から“おいしい〜〜〜ね”とうならせた満足のメニューだった。かに料理の中では、「焼き蟹」が一番おいしい〜〜〜、と思うのだが皆さんはいかがでしょうか。
 2日目は、まず「天橋立」を散策する。今回は、往きはモーターボートで渡り傘松公園の「股のぞき」を楽しんだが腰が曲がりにくくなって歳を感じる始末。
そして帰り(復)は観光船かもめ3号に乗船する。船内で思わぬ感激に浸ることができた。というのは、船内に「かっぱえびせん100円」が置いてあったがかもめの餌らしい。船尾にでてかっぱえびせんを撒くと、かもめが群がり上手に空中捕獲するするのに感心していたが指に挟んだ餌を啄ばむ姿にいたく感激してしまう。孫も大喜びしていたのは言うまでもないが大人が感激したのは野鳥・自然との関わりができたからであろう。100円でかもめと触れ合えるとは最高の収穫といえそうだ。
 次に訪問したのは「出石」である。出石城大手門の見張り台として建造されたという辰鼓櫓をバックに写真撮影したりしてしばし散策したあとで名物である皿そばをぺろりとたいらげる。
 今回の家族旅行は、日ごろの行いが良かったのか2月というのに天気にも恵まれて満足まんぞくの1泊旅行となった。家族に感謝!! 天気に感謝!!
家族旅行


食べつくした蟹の残骸


かっぱえびせんをねだるカモメ達


指先のえびせんを捕獲するかもめ
137 2004. 2. 3 早、2月になって今日は節分だ。
 「鬼は外!!、福は内!!」のように庶民の願いは昔も今も大差ないような気がするが現在の環境は余りにも複雑になりすぎている。
 内外のニュースをみてもイラクへの自衛隊派遣問題といい、残虐な殺人事件が毎日のように報道されるている。
 自衛隊の派遣は、憲法問題・日米関係・国際関係と複雑に絡み合って与党・野党議員の勢力・権力争いに終始していた。連日のテレビ放映を見ていたが日本という国の将来を左右すべき重要議題を、国会議員の先生方?はどう捕らえて行動しているのだろうかと危惧せざるを得ない。日本の将来を心配しているのならとことん議論しあって、超党派の立場で「全員参加」のもとで採決すべきではなかったのか。
 一方、国内では殺伐とした事件が多すぎる。どうしてこうも残虐な事件が発生するのだろうか。すぐに「社会が悪い」ということになりそうだがもっともっと身近なところに原因があると考えるべきだ。「社会が悪い」というのであれば「三つ子の魂100までも」の言葉を思い浮かべて、もっと真剣に考えて取り組むべきだろう。何が言いたいのか?って。
136 2004. 1. 1 あけましておめでとうございます。
 2004(H16)年がスタートした。例年のことだが今年はこうしたい、こうありたいと無地のマイキャンバスに夢を描く。大きくても小さくても一向に構わないがなかなか色鮮やかに、美しくは塗りつぶせない。翌年に持ち越すことも多いがデッサンすることは実に楽しいものだ。無地のキャンパスに思い思いの線・風景が描かれまた思い思いの色が塗られていく。幾重にも塗られた色が自分自身の歩いてきた道のりであるようだ。決して派手ではないがしっかりした足取りを描いてきたのだと振り返る。これからの余生をどう築いていくかも自分自身の考え方にかかっているはずだ。健康という基礎・基盤がしっかりしていないと無地のキャンバスも線も色も何も描かれないことになる。リタイヤした余生では、健康第一がやはり一番なのであろう。
 孫も2歳5ヶ月となって自らの意思表示をはっきりと示すようになった。幼児の成長振りは目を見張るものがある。脳細胞の極めて早い分裂が日ごとの成長を助長していくのであろう。「三つ子の魂100までも」というようにこの時期が長い人生の基礎・基盤を形成していくものと疑わないこの頃である。

 かわいい孫の声が聞こえてきます。

 去年、還暦を迎えたじいちゃんは、我輩を相手に童心に戻って楽しんでいるようです。気ままな時間を築いていて好きなことだけを存分にエンジョイしているようでもあり、薄くなった髪を撫でながら長生きしそうな雰囲気を漂よわせております。
 当のじいちゃんは、「毎日が必死だ!!」そうですが我輩の目にはそうは映りません。でもね、憎まれ口をたたかれようとも3歳を迎える我輩の相手をして下さいな。じいちゃんの相手も大変なんだよ。

 じいちゃんは応えます。ぼくちゃんの成長に反比例して体力は衰えるだろうけど話し相手にはなれるように精一杯活きることにするよ。
あけましておめでとうございます


2004年 年賀状その1