わがままひとりごと(2009年〜) 
改訂=2012(H24). 5.21(通算#204)  初版=1999.9.3 中溝喜慶 

No 年月日 わ が ま ま ひ と り ご と 写真メモ
204 2012. 5.21

今年の「母の日」は、いつもの日とは違う思いがあった。母の日とはいうものの我が奥様に対する感謝の思いであった。このページの前文に記載しているように2回目の癌を新年早々に手術をした。
 1月18日に入院、翌19日に10時間にもおよぶ癌摘出手術(甲状腺)、退院後の3月16日にアイソトープ治療を行った。アイソトープ治療のために治療日の4週間前からヨードを含む食材の使用禁止という食事制限を課せられたため主婦として大変だったようだ。
 とにかく全力を注いでくれた妻に感謝の気持ちを伝えたくて母の日プレゼントをしたのだった。ありがとう。お蔭で諦めていた菊づくりを今年も楽しめそうだ。


ネットで購入したミニバラ
203 2011.12.31
2011年(平成23年)が今日一日で終わってしまう。
 6年目の「我が家の菊花展2011」を片付けて来年への準備をしている最中の最終月12月に我が人生にとっての宿命を暗示させるかのような診断が下された。
 それは精密検査の結果として下された「甲状腺癌」だった。新年早々の1月に切除手術をうけることになったが2008年(平成20年)の5月の「膀胱癌」の手術に続いての2回目の癌手術ということになる。
 医学が進歩していることを認めるところだがどんな癌にしても癌はどうしても「死と直面」することをイメージしてしまう。現在では、医者は「癌」であることを包み隠さづに患者にも家族にも明かされてしまうがこの宣告は、家族にとって家族の在り方・人生のあり方・生き様を考えさせるよい機会であることから歓迎するものだ。2回もの癌手術となると「あと何年生きられるだろうか」とついつい考えてしまう。その証拠に欲しいと思っていたモノを買い控えることを決心させてしまう。
 前回も今回も痛くも痒くもないままに、ある日突然「異常」に気付いたが今回も首筋のしこりに気付いて診察を受けると、もしか?と覚悟していたとはいうものの「癌」を宣告されてしまう。癌宣告のこの現実に多少とも戸惑ってしまう。退職して10年足らずの今、お世話になった社会への恩返しがわが意識の中で中途半端であるだけにまだ死ぬ訳にはいかないのだ。この先の生活設計は、手術後の体力の回復状況をみて判断するとして今年は除夜の鐘を聞こうと思う。






202 2011. 3. 6
妻が還暦を迎える今年ひとつのけじめとして還暦のお祝いをする
   *************
 この世に誕生して60年
  長いようでもあり
   あっという間の時の流れでもあり
    踏みしめた足跡が
     残っていることは確かでしょう
 おめでとう
  還暦のお祝いとして
   ここに感謝の心を伝えたい
    同封のお祝いは
     自由にお使いください
 これからも
  健康に注意して
   明るく元気で私生活を
    思う存分エンジョイして下さい

   2011(H23)年3月6日
 結婚して何年になるのかなぁ、と思いつつ数えてみるとあと10年で金婚式を迎えることになる。
 波風立つこともなく平穏無事に40年間が経過していることになるがその間子供は独立し、孫の笑顔に幸せをいただいている。ありがたいことだ。
 妻に感謝 子供に感謝 孫に感謝 嫁に感謝 自分を取り巻いてくれる全ての人々に感謝感謝である
 
201 2010. 3.20
 
 4月には小学3年となる孫がじぃじのお手伝いをするようになった。お手伝いをすることによってお小遣いが欲しいらしい。目的は、お小遣いを貯めて自分が好きなおもちゃを買うのだという。
 じぃじが子供の頃は戦後間もない時期ということもあって何かと手伝わされたものだ。 勿論、お小遣いを貰える訳ではなくただ黙々と手伝っていたことを思い出す。
 家では、お風呂の掃除をして1回当たり10円のお小遣いを頂いているそうが金額の問題ではなくお手伝いを日課とすることは非常に良いことだしじぃじも協力することにした。日課とはならないが学校が休みの時に手伝って貰うことにした。先日、砂利運びをして200円をあげたが大事そうに2枚の硬貨を持ち帰った。時給100円のアルバイトが孫とじぃじのあいだに確立した。
 そして先日、ばぁばが血圧が高いと言うことで医者から朝晩に血圧を測るように指示されたことからじぃじが入力様式を作った後で孫にパソコンへの入力をお願いすると喜んでパソコンに向かったのである。簡単な説明だけをすると理解して入力を終えたのにはじぃじの方が驚いてしまう。
 これからはおしゃべりをしながら畑の草取りをしようと思っている。
 

朝晩各2回の測定値を入力し
最大値・最小値の平均値を
グラフ化した
 200 2010. 3. 7  2月21日の夜8時に義父が亡くなった。85歳の生涯だったがこの正月までの元気な姿を見ている限りこんなにも脆く息を引き取るなんて考えられなかった。
 2年前に癌に絡んだ大手術をしていたが手術後の生存率(余命)という言葉の信憑性が義父の死によってにわかに信じられるようになったのかも知れない。
 娘婿として何が出来たであろうか?と自問していると息苦しくなる。娘を嫁がせる男親としての心境をいつも思い浮かべながら結婚以来38年間生活してきたが果たして娘婿として合格点を貰えたであろうか、と今つくづく思う。
 少なくとも夫婦間の問題では心配を掛けなかったことだけは自負できるが総合点では果たしてどうであろうか。
 葬儀が終わっても心のどこかに空洞ができたようで刹那さがこみあげてくる。今日、早速に義父が耕していた畑へ行って草引きをして帰る。
 葬儀でのお礼の言葉(PDF)です 
 
199 2009.11 2  10月31日、隣家に住む孫(小学2年男の子)より「招待状」が届く。
     −−−−−−−−ー−−−
じぃじ・ばぁばへ
 あした(1日)、じぃじのそだてたきくをみながらパーティをするからいっしょにごはんをたべましょう。
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 と、いう訳で1日は“菊のお花見会”となってお昼にご馳走になった。窓越しに先日、開催したばかりの菊花展のお花を眺めながらお母さん(嫁)が料理してくれたご馳走をお腹一杯食べる。床の間には小菊盆栽の鉢植えがドンと居座り飾られていてなかなかの風情を醸し出していた。菊にとっても幸せであろう。
 夕方、孫と二人で近くの平和堂に行って「ムゲンバイン」をプレゼントする。孫も大喜び、じぃじも幸せ!! ありがとう。
(注)マイ・ホームページにも写真をアップロードしつつあるのでご覧になって下さい。「菊づくり奮戦記」よりお入り下さい。

窓越しの菊花展
198 2009. 6.24
 第3日曜日の21日は何の日? 
忘れているような日であるが今年は妻から「父の日」プレゼントとして写真の腕時計をいただいた。
 Gショック、ソーラーのデジタル腕時計である。妻は、息子に頼んでインターネットで手配してくれて父の日の21日に届けてくれた。普段、畑での作業で使っていた腕時計が「電池切れ」で動かなくなっていたのだがこの時計を見た妻がちょっとおしゃれな腕時計を選択してくれたようだ。
 娘からも事前に頂いていたし思いも寄らぬ妻からのプレゼントに思わず“ありがとう”だ。母の日にプレゼントしていたグラウンドゴルフセットのお返しだったかも知れないがありがたいことだ。
 勿論、電池切れの腕時計は、自分で電池交換をする予定でいる。

プレゼントのデジタル腕時計
197 2009. 5.31
 29日、湖南市シルバー人材センターの通常総会&互助会総会日であった。
 総会の中で、議長選出の諮問がなされるのだが結果的には「司会者一任」となることから事前に「議長」の要請を受けていた。実は昨年要請されていたがちょうど入院・手術の時期と重なることから辞退していたこともあって今年は議長を受託した。日頃、シルバー人材センターへにお世話になっていることへのお礼のつもりである。
 事務局から「口述書」をいただいてはいるものの議題の賛否を問いながらの進行は意外と難しいものだ。シルバー人材センターに登録している身で新しい経験を積ませてもらったことに感謝である。

普及啓発キャラクター
なまひげ先生
196  2009. 5. 8
10日は母の日である。
 わが妻なれど感謝の気持で母の日にプレゼントすることにした。何のプレゼント?
老夫婦への仲間入りする年齢ということもあって「一緒に遊べるモノ」を考えてグラウンドゴルフセットをインターネットで購入した。自分自身のはこの3月に購入していたのでお揃いの色違いセットにした。共有できる時間を見つけて青空の下で夫婦で遊ぼうかと思っている。夫婦で共有できる時間を見つけるのは優しそうでなかなかに難しい。
 夜間の共有時間は、フイットネスクラブに通っているのでこれからは昼間の共有時間をグラウンドゴルフに使いたい。いづれも癒しの時間になればいい。
 
夫婦お揃いのGGセット
(クラブ・ボール・マーカー・ケース)
195  2009. 4.13
 この4月より「民生委員児童委員」をおおせつかった。前任者の都合が悪くなったとのことで受託要請を受けていたが時間的に余裕がないことから断っていたがついに断りきれなくなって受託することにした。力量といい全ての面で似つかわしくない任務なれど「自分なりに出来る範囲で奉仕出来れば、と思う。前任者との引継ぎも終わったが新しい任務だけに戸惑うこともあるが行政との繋ぎ役になれれば、と思っている。
 民生委員の力を必要とするのは、「社会的立場の弱い人」だけに思いやりある対応が必要であろう。何時の日にか民生委員の力をお借りことも有り得るかと思うと与えられた任務をおろそかには出来ないはずだ。新民生委員としてご挨拶に伺ったときに「面識ある人がなってくれた」と喜んでくれたおばぁちゃんがいてくれたが期待を裏切らないように努力せねばならない。大変なことだがポランティア精神で頑張ろうと思う。

民生委員児童委員信条

 1.わたくしたちは
    隣人愛をもって社会福祉の
    増進に努めます
 1.わたくしたちは
    常に地域社会の実情を把握
    することに努めます
 1.わたくしたちは
    誠意をもってあらゆる生活上    の相談に応じ自立の援助に努    めます
 1.わたくしたちは
    すべての人々と協力し明朗で    健全な地域社会づくりに努め    ます
 1.わたくしたちは
    常に公正を旨とし人格と識見    の向上に努めます 

194 2009. 3.15
 
 久しぶりのツアー参加である。ミステリーツアーということだったが「朝ドラでおなじみ、掲載写真」でミエミエのミステリーツアーであったようだ。車窓から眺める冠雪が残る大山や蒜山三山は美しかった。松江に着くと役1時間の堀川めぐりで遊覧する。甲羅干しする亀や水鳥を見ながら松江城や武家屋敷の風情を楽しむ。玉造温泉で一泊し翌日は、伝承館、ワイナリー館、寿館めぐりとなる。
ワインの試飲ができても飲めない私には魅力もなかったが寿館でのお菓子の試食は魅力たっぷりであった。売り子さんが出してくれるお菓子全てを食べたが太ること間違いなし、というところであろう。
 今回の旅行でびっくりしたのは、レイカディア大学でクラブがご一緒だったYさんと出会ったことだ。世の中ってせまいなぁ。
 
出雲大赦

平成の大遷宮の真っ只中
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193 2009. 3.12
 3月11日は、私の66才の誕生日であった。シルバー人材センターに登録していることから今日の誕生日も仕事であった。
 夕食は、妻が作ってくれる弁当持参だか赤飯にケーキが添えてあったがいくつになってもあたたかい心配りに感謝する。
 段々と、いにしえの日々が思い出されてくるが高校時代までは田舎で大家族のもとで暮らしていたし家族の誕生日には必ず赤飯と尾頭つきの鯛でお祝いしてもらっていたことが甦って来る。当時は、「外食する」なんて考えられなかったが尾頭つきの鯛でのお祝いは最高の贅沢だったような気がしている。いまは亡きオフクロにも感謝である。
 
192 2009. 3. 5
 3月3日はひな祭りであった。3歳の孫娘もこの春には幼稚園児となるがひな壇を飾ってもらいお母さんに手料理を作ってもらってお祝いをしてもらったようだ。
 じぃじ・はぁばにもかわいい雛寿司(写真)を二皿いただいた。私には作り方のレシピなどさっぱりわからないので呼び方も適当だがお寿司を卵で覆ってチーズや海苔等で可愛いい笑顔が表現されていた。母親の愛情こもった諸々の手料理に喜んだであろうと孫娘の笑顔を勝手に想像したひと時であった。食べる前に、手許にあった携帯電話のカメラで思わずパチリ。デジカメで撮影すればもっともっと素直な表現ができたのにと、反省しきりでもある。嫁に、いつもいつもありがとう、との思いがある。


美味しくいただきました!!