プロポーション石部 A文化の薫り 
石部の「かたぎ」
東海道宿場町として経済や文化が発展した石部町−−−。
  ここで生まれたものは、焼き物・地酒・銘菓・・・とさまざまです。中でも
  石部焼は香り高い文化を運ぶまちの逸品として今も大切に守り伝えられています。

 日本各地に点在すめ窯元。その昔、このまちにも窯がひらかれ、「石部」を冠する「石部焼」が制作されるようになりました。

 「石部焼」の発祥地は、石部小学校の南方丘陵地(字十禅寺}。陶器を産出するこの地は俗に「茶碗山」と呼び親しまれ、 窯跡を残していました。

 創始者は石部宿の福島治郎兵衛・植村仁左衛門・藤谷治右衛門らで、江戸後期の文政年中、
十禅寺の高地に数基の窯と作業場を開きました。これが石部焼の始まりです。

 原料となる陶土については、「石部土、石部山よりこれをだす」(『近江興地志略』より)という記録が残されているようにこの土地のものが使われました。

 一方、釉薬は京都から仕入れられ、制作にあたっては京都清水から清二という陶工を招きました。

 当初は茶碗や徳利、鉢などの日常品を焼いていましたが、水差しや筆架、猪口、床置も品目に加わっていきます。

 それと同時に模様や染付も精巧さが増して行きました。
 天保5年(1834)には、前述の福島治郎兵衛・藤谷治右衛門・服部才之助らが膳所藩から金40両を年利四朱手当として拝借し、各窯元が焼き物で返納するという証文をしたためています。

 しかし、経営状態は芳しくなかったようで、一時期窯から煙が消えてしまいます。

 その後、寛永4年(1851)3月に石部宿北村又三郎が再興します。
 『膳所領郡方日記』によれば、又三郎は将来は国益にも役立てようと思っていたようです。

 いったんは途絶えたにもかかわらず、見事に再興された石部焼。このようなまちを盛り立てようとする熱量は、長年栄えた宿場町の人々の心に培われた心意気の賜物かもしれません。

 かって先人たちの手によって焼かれた作品は今も手厚く保管されており、「湖東石南山」や「清二」」天保丙申(7年)12月茶碗山)「天保巳暦於湖東石部郷製」の銘が歴史を物語るようです。

 現在、石部焼の窯を守る名工は一人だけになりましたが、京の都の上品な雰囲気を醸し出しながらも素朴な風合いの焼き物は、依然人気の高い焼き物となっています。

 茶碗や皿の他、オカリナも焼かれるようになり、石部焼ファンは増える一方です。
 (出展=石部町発行「1998町勢要覧」より転記)  初版=2000.6.10